印象に残った看護体験

新潟南病院看護部は患者・家族に寄り添った看護を提供したいと努めています。そこで年1回、「印象に残った看護体験を語る会」を行っています。その中からいくつか事例を紹介します。

忘れられないひととき

2024年3月26日掲載

 入職して1ヶ月が経った5月。食道内分泌細胞癌、多発肝転移にて終末期の70代の方が入院されました。初めは1人でご飯を食べることも、トイレに行くことも、テレビを見て笑うことも出来ていた方でした。1年生の私でも受け持ったことがありました。しかし、進行は早く定期の鎮痛剤内服では痛みが治まらなくなり、麻薬の内服が出来なくなり、貼付薬でも苦痛が緩和出来ず静脈内注射と1日1日、日を追うごとに患者さんの状態は変わっていきました。

 ある日私はその方の清拭をする機会がありました。もう自分1人では立ち上がることも出来なくなっていた患者さんの変わりように本当に衝撃を受けたことを今でも覚えています。“午後からは家族の面会がある、妻と娘と、、たくさん来る”と患者さんが仰っていました。普段であれば清潔保持の為と思い清拭を行なっていましたが、その患者さんが私に伝えてくれた“ご家族が来られる”という言葉に、いくら入院していたって家族の前ではしっかりとした“旦那、父親”でいたいのだと感じました。本当に素敵だと思いました。そこで清拭が終わったあと、普段はどのような髪形だったのですかとお聞きして、普段していた髪形になるようお手伝いしました。ありがとうと笑顔で仰って下さった時は本当にうれしかったのを覚えています。その後、私は関わる事が無かったですが、数日後にご家族に見守られて亡くなったとお聞きしました。本当に数分の関わりでしたが、患者さんにとって、また、ご家族にとっても良い関わりができたのではないかと感じます。私だけではなく、先輩達、看護補助者さん共に日々患者さんの思いに沿うケアを介入しているとおもいます。

 こんな私たちの病院を私の大切な人たちに勧めたいと思います。

自分が患者になってみて

2024年1月6日掲載

 私が患者として入院し手術をした時のことです。予定通り手術は終わり部屋に戻ってきてベッドで過ごしていました。帰室直後は麻酔が効いていたせいかあまり辛くはなかったのですが、だんだんと痛み吐き気、息苦しさ、言いようのない辛さが襲ってきました。あまりにも耐え難く私はナースコールを押しました。看護師として働く中で手術は日常であり、あまり不安は感じずに術前まで過ごしていましたが、術後辛く苦しい状況になると急に不安が襲ってきたのです。

 口にはドレーンが入り、口の中は乾燥し、なかなか声を出すことも難しく、自分の言いたいことが表現できませんでした。そんな中でも看護師さんは「痛み止めがいる?吐き気止め?」と、私の訴えを想像しながら声を掛けてくれました。私はそのことで、「この人は自分のことを考えてくれている」という絶対的な安心感を得ることができました。体は辛くともその心遣いだけで少し心が楽になったような感覚になったのです。自分が言いたいことをはっきりと伝えられないもどかしさ、辛さを感じ、そんな時にこちらの気持ちを汲み取ってくれて、伝わる嬉しさを感じた瞬間でした。

 その後、私が看護師として働く中で、手術を受けられる患者様を受け持ったときのことです。術前のオリエンテーションの中で患者さんが「痛みに弱くて、一番の心配は痛みです」と話されました。その患者さんの手術が終わり病棟に戻ってきたとき、麻酔の影響でうとうとしており、声掛けに反応はあるもののはっきりと話すことができずにいました。しかし、眉間にしわが寄っておりなにか苦痛があるのではないかと考えました。痛み止めを使いましょうか?など、患者さんが「はい」か「いいえ」で簡単に答えられるような声掛けを行いました。その後も痛み止めの効果はどうだったのか確認したり、ずっと同じ体勢で過ごしていたため腰が痛くならないように体交枕の使用を提案しました。患者さんからの訴えを待つだけではなく、今どんなことが苦痛で何をしてほしいのか想像をしながら声掛けを行い、苦痛の緩和に努めました。

 退院時患者さんから「痛みなどに対してすぐに対応してくれて安心できました。初めての手術で不安でいっぱいでしたが看護師さんのおかげで安心して過ごすことができました」とのお言葉をいただきました。看護師にとって手術は日常ですが、患者さんにとっては初めてのことで日常とはかけ離れたことであり、不安がすごく強いものだと実感しました。私たちの関わり方次第で患者さんが安心して入院生活を送ることにもつながっていくことを改めて感じることができました。

患者さんの本当の声

2024年1月4日掲載

 私は看護師としての経験が浅く、採血や留置針挿入などの技術もうまくいかず、看護師として自信がつかない毎日に日々悩んでいました。その患者さんは抗がん剤治療で繰り返し入院されておりました。私は抗がん剤治療の実施経験も少なかったことから、その日は不安がますます大きくなっていました。その患者さんは同室の方に「私はもう〇クール目でベテランなのよ。だから辛いことがあったら私に言って。」と笑顔でおっしゃっていました。しかし留置針挿入の際、その方の顔を見ると、目をギュッと力強く瞑り、手は微かに震えており、不安と痛みに怯えているのが分かりました。そこで、「また治療が始まりますが、何か心配や不安なことありますか?針を刺されて痛いのもお辛いですよね。私達はいつでも○○さんの傍にいますし、いつでも遠慮なくおっしゃって下さいね。」などと声を掛けました。

 ゆっくり話す時間を設け不安の原因を探ると、「本当はね、あんなこと言って笑っていたけれどやっぱり何回やっても慣れなくてダメね。無事に終わってくれるか不安だし・・・ただそれだけ。」などと言葉が返ってきて、私はハッとしました。不安や恐怖が大きいのは、初回の治療であると思っていた自分の未熟さを痛感しました。抗がん剤を何クールも繰り返している方でも、不安や恐怖はいつになっても付き纏うものだと改めて感じました。もちろん患者さんの不安や恐怖を理解し寄り添ってきたつもりでした。初回の抗がん剤治療を行う方は、どのような副作用が出て今後どのようになってしまうのだろうなどといった不安や恐怖は計り知れないと思います。しかしそれは治療を重ねた方でも気持ちは一緒なのです。私自身も看護師として自信がつかない日々に不安があり悩んでいたことから、内容は違えどその方の不安な気持ちが人一倍理解出来ました。患者さんの不安な気持ちに一番近くで寄り添いたいとそのとき強く思いました。その言葉を聞いて、私は治療中何度も訪室し、観察はもちろんのこと、「あともう少しですよ。一緒に頑張りましょうね。」と声をかけ、患者さんが一人ではなく、看護師と共に歩んでいるという姿勢を見せようと、関わりました。

 治療が終わった際、「あなたが何回も気にかけて来てくれて、いてくれて良かったよ。あなたのおかげで無事に終われた。ありがとうね。」とおっしゃって頂けたことが今でも印象深く、私の励みになっています。ゆっくり話す時間を作って、本心を理解することがいかに大切であるかということを思いました。看護経験も浅く技術のつたない私でも、しっかり向き合う姿勢を見せることで信頼度が高まり、不安の軽減にもつながることを学びました。

未来にむけた退院支援

2023年7月6日掲載

 ある患者さんの退院支援が私の中でとても印象に残っています。入職して3年が経過し、退院支援にも少し自信が持てるようになってきたころでした。担当になったのは比較的若い患者さんで、これまでは高齢の方に対する退院支援だけを経験していたので、どんなサポートが必要なのか想像ができなかったのです。先輩看護師から「まだ若いから就労支援も考えないといけない。」と助言をいただいたり、介護保険の対象に当てはまらずどんな制度が活用できるのか調べたりしながらソーシャルワーカーやリハビリと連携し退院に向けて調整を進めていました。

 退院に向けて調整が進む一方で、リハビリスタッフより、患者さんは治療の中で障害を持ったことへの受け入れが難しい様子だと伺いました。何回か本人と退院の話をすると、「退院しても生活できるのだろうか。リハビリしていても良くならない。」と不安で涙されることがありました。退院への枠組みだけ調節が進み、患者さんの声を聴いていなかったと痛感させられました。そこで患者さんに前向きになっていただけるよう、「入院前はできなかったことが今はできていますよ。ちゃんとリハビリの成果が出ていますよ。」「退院してもサポートがしっかり入るので心配ないですよ。」と、現状をお伝えし、サポートの内容を具体的に説明させていただきました。退院支援はただ退院後の生活面のサポートだけを考えるものだと思っていましたが、まずはその患者さんの思いを聞くこと、希望を聞くこと、そして患者さんが安心して帰られるために情緒的サポートが大切なことに改めて気づかされました。徐々に現状の身体機能と向き合えるようになり、退院後の生活を想像し「薬の管理は壁掛けのカレンダーに入れてもらっているけど袋が開けられないからケースのカレンダーに錠剤でいれてほしい。」と自発的に考えていただけるようになりました。退院後、どんなサポートが必要なのか、医療者の押し付けではなく患者さんと一緒に考えることの大切さを学びました。

 退院日を迎え、患者さんをお見送りした際に、「ありがとうございました。不安だったことも話を聞いてもらって安心することができました。」と最後に笑顔でその言葉をいただきました。この体験により、患者さんの退院したその先の“未来”に向けた視点を忘れずに、患者さんと顔を向き合った看護が提供できるようになろうと、考えるようになりました。

退院支援を通して

2023年3月6日掲載

私が2年目の時、ベッドで寝ていることが多く、リハビリにも消極的で、あまり自分からお話をされないAさんを受け持ちました。

Aさんは奥様と二人暮らしであり、入院前のように動けるようになれるのか、私にはその時想像できませんでした。ご高齢のため介護が必要になると自宅退院は難しいのではないかと考えていました。その後、リハビリのスタッフや病棟看護師の声掛けによって、Aさんはリハビリに少しずつ取り組むようになり、自力での起き上がりや歩行訓練も開始されました。寝たきりの状態から、ベッドに座っていられるようになるまで回復したことでご本人の表情もだんだんと明るくなってきた印象を受けました。「退院できるかもね、家に帰れるようにリハビリ頑張るよ。」とお話されました。それからは、とても積極的にリハビリに取り組まれ、ベッドから離れる時間が多くなっていきました。伝え歩きで、自宅で生活ができる程度まで回復してきたことで、とうとう退院することができました。

看護師になって初めて、継続的なリハビリテーションの成果を目の前で経験することができました。家族がいる住み慣れた自宅に帰りたいというAさんの強い気持ちが、モチベーションとなりここまで回復することができたのだと思います。

退院の数週間後、退院後訪問を行いました。驚いたことに、退院した時の姿よりも凛々しいお姿で、伝え歩きから簡単な家事なら行っているとありました。「本当にお世話になりました。ありがとう、家に帰れてよかったです。」とご本人、奥様から感謝の言葉を受け取りました。その様子と言葉から、退院支援にやりがいを感じ、希望通りに自宅に帰っていただけて本当に良かったと感じました。

これからも、この事例を忘れずに患者さん・ご家族の希望を大切にして、退院へ向けてのサポートができる看護を考えていきたいと思います。

患者さんへ寄り添うこと

2022年12月1日掲載

私の看護観は、患者さんやご家族の思いを受け止め理解し、心から寄り添えることだと考えています。当たり前のことだと思いますが、今でもすごく難しいことだなあと感じます。

新人看護師になりたての時のことです。複数の患者さんを受け持ち、私自身が仕事に慣れず、なかなか一人の患者さんにじっくり時間を取って関わることが出来ずにいました。その日は入退院が少なく、時間の余裕がありました。その患者さんは血液疾患の治療後の副作用のため、なかなか入浴が出来ない状況が続いていました。少しでも安楽なケアが行えたらと先輩看護師が足浴を行ってみたらと提案してくれました。足浴を行ったことで、普段と比べゆっくり時間をかけて関わることが出来ました。そのときに普段話さないような入院前の趣味や患者さんの家族、飼っているペットの話しまでコミュニケーションを取ることが出来ました。今までは体調に関しての会話のみだった関わりから、患者さんの内面を知ることができ、意外と会話が好きな患者さんである事がわかりました。足浴が終わると「ありがとう。いつもは忙しそうでなかなか話かけにくいのよ。」と笑顔で冗談まじりに言われました。私はこの一言で患者さんに寄り添えていなかった事に気付きました。もちろん自分なりに頑張っていたつもりですが、まだまだ不慣れで自分のことで精一杯になってしまっていました。その後、患者さんから退院後の生活に対しての不安や病気に対しての受け止め方を話してくれるようになりました。

この出来事を振り返って考えてみると、無意識に患者さんに気を使わせてしまっていたり、言いたいことを言えない環境を作っていたのかもしれないと思いました。患者さんや家族の思いを引き出すためには信頼関係を築く事が大切です。入院生活を快適に過ごして頂くために看護師としての態度・言動をよく考え、患者さんやご家族に心から寄り添える看護師になろうと改めて実感した経験でした。

患者さんの思いに近づくきっかけをくれた「朱鷺の写真」

2022年11月15日掲載

Aさんは80歳代男性。息子さんがいますが関東に在住のため独居でした。脳出血と脳梗塞の既往があり、左不全麻痺と視野狭窄がありました。2年前の外来受診の時に、本人から「もう治療してほしくない」と希望があり、外出拒否もあるため、医療体制は訪問診療へと切り替え、毎日朝夕のヘルパー介入となりました。

私は月2回訪問診療で自宅へ伺っていましたが、Aさんはベッド上で臥床していることが多く、口数は少なく、無表情のことが多い方でした。訪問診療時は、体調や食事の摂取状況などの確認をしますが、返答することはそれほど多くありませんでした。あまり返事もないし人と話すのは好きではないのかなと思いながらも、私はその日も「調子はどうですか?」といつも通り声をかけました。すると、Aさんが「十分生きたし早く逝きたいな。」と悲観的なことをおっしゃいました。私はびっくりして、何とか生きる希望を持ってほしくて、「息子さんが悲しみますよ。息子さん、Aさんと会えるのを楽しみにしていると思いますよ。」と言いました。Aさんは、「そうかな。」と表情は暗くおっしゃいました。私はその日、Aさんのことが頭から離れませんでした。「息子さんともなかなか会えないし、いつも一人で家で過ごしているし、寂しいんだろうな」「体も不自由で、目もよく見えないし、楽しみもこれといってなさそうだよな」「それだと、生きる意欲もわかないのかな」などと、色々考えを巡らせました。私は、Aさんがもう少し気持ちが穏やかに過ごせるように関わるにはどうしたらよいのかと考え、いつも10~15分間という短い訪問時間ではありましたが、まずはAさんのことをもっと知ろうと思い、意識して少しずつでも話してみようと決心しました。

次の訪問診療の時、決意を新たにした私はAさんのいる部屋に朱鷺の写真が飾ってあるのを早速見つけました。「Aさん、あの朱鷺の写真は自分で撮ったんですか?」と聞くと、「あれは、もらったんだよ。昔仕事で佐渡にいてね。」と、答えてくださいました。私が「佐渡にいたんですか?何のお仕事をされていたんですか?」と聞くと、Aさんは、「車関係の仕事でね。佐渡は長かったな。冬は船は駄目だね。時化て。」と、初めて笑顔を見せてくれ、昔の元気だったころを思い出す様子がみられました。私は、いつもより話してくれているな。表情も良いなと思いました。「Aさん、長い間、車のお仕事がんばってきたんですね。お疲れさまでしたね。」と伝えると、「そうだね。たくさん人助けもしてきたし、でも人に迷惑はかけたくないね。世話になりっぱなしでね。息子も遠いしね。」と、表情穏やかに話されました。私は、「Aさんは、話すことが嫌いなわけではなかったんだ。いつもは看護師が聞きたいことだけを聞いていたから、それ以上のことは答えなかったんだ」「悲観的な発言の中には、家族が近くにいない孤独感があるのではないか」「たくさん人助けをしてきたAさんには、人の力を借りて生きていくことに対して申し訳ない気持ちや悔しさがあるのではないか」と、Aさんのことを知ることで、Aさんの思いにも近づくことができました。私は、「Aさん、また昔のお話聞かせてくださいね。また来ますね。」と言いました。Aさんは、手を挙げてあいさつをしてくれました。