印象に残った看護体験

新潟南病院看護部は患者・家族に寄り添った看護を提供したいと努めています。そこで年2回,「印象に残った看護体験を語る会」を行っています。その中からいくつか事例を紹介します。

帰宅願望の強かった患者さん

Aさんは帰宅願望が強く、いつもお部屋や廊下を落ち着きなく歩いていらっしゃいました。
病状的には安定しており、リハビリも進み、歩行も安定したため、ご自宅へ退院する予定でした。
しかしご家族の事情で退院が延期になり、しばらく入院を継続することになりました。
私は「こんなに帰りたがっているのに」と、Aさんの精神状態が心配でしたし、いつどこに間違えて歩いて行ってしまうか分からないと、安全面の心配もありました。

あるとき、Aさんの好きなこと、興味のあることは何か聞いてみました。
Aさんは「オセロ、競馬が好きだった。若い頃よくしていたよ」と答えてくれました。
そこで、Aさんの生活の中に、オセロをする時間、競馬のラジオを聞く時間を取り入れてみました。
それからのAさんは次第に落ち着きを取り戻し、入院生活を受け入れてくれるようになり、退院の日まで穏やかに過ごすことが出来ました。

入院生活を安全・安心に過ごしていただくため、病気を治す事だけではなく、生活の場として考えることがいかに大切であるか、学ばせて頂きました。
まだ未熟な私ですが、今回学んだことを次に活かして、頑張りたいと思います。

お家ってすごいなあ

病院から訪問看護に異動して数年。病院では経験できないことが沢山ありました。

その1.お家パワー
 お口から食べることも飲むこともできなくなり、頼りの点滴も血管が細くなり厳しい状況となり、最期をお家で迎えるため、退院するお年寄りがここ数年増えてきました。目も開けられず、声も出せず、医師からはあと数日、という宣告を受けてお家に帰って来られた方がいらっしゃいました。長年過ごされた我が家の力、ご家族の力で、声掛けに、目を開け、返事もされ、お水やゼリーを少量ながら食べ、2週間お家で過ごすことができました。お家で蘇った生命力、すごいなあ。私たちはお家パワーと呼んでいます。

その2.ご夫婦の絆
 神経難病を患い、今はベッドで寝たきりになってしまった方。お部屋の鴨居には「体を元に戻して欲しい」と書かれた、もう色あせてしまった短冊がぶら下がっています。この方の病気に対しての思いがひしひしと伝わってきます。実習で同行する学生さんには必ず見て頂いています。そして、お部屋からは奥さんが野菜やお花などを植えているお庭が見えます。そこに時々雀がやってきます。実は奥さんがベッドから動けないご主人に雀を見てもらうため、パンくずを播いているのだということをあとで聞きました。
また、災害の時、どう避難していくかを奥さんにお話しした時、「いいわね、どこにも逃げなくて。父ちゃんとベッドにしがみついているわ」と奥さんは笑って話されていたと聞きました。ご夫婦の絆の深さに感動です。

その3.癒し、励まされ・・
 寝たきりで昼間は一人で過ごされている認知症のある方。伺うと「二人っきりだから仲良くしようよ」うん、うん、仲良くする!でも浣腸やおむつ交換をすると思いっきり抵抗されます。ケアが終わって、おいとまの挨拶をすると「また来てねー」と満面の笑顔を見せて下さる。私の方が癒されています。
また、帰り際には必ず「車、気をつけて帰りなさい」と声をかけて下さる方も・・
まるで自分の親からの言葉のようです。

訪問看護師として利用者さん、ご家族から癒され、励まされ、沢山学ばせていただいている毎日です。

見事な復活を遂げた患者さん

私がその患者さんに出会った時、その方はこちらの話すことがまるで耳に入らず、言葉を発する事もなく、ただ宙を見つめているだけでした。それでも時々自分で立ち上がろうとして転倒のリスクが高いため、車いすに乗せられ、抑制帯をつけていました。口からは涎をたらし、食事は介助でわずかに食べることができますが、十分な量を摂ることはできないため、中心静脈カテーテルから高カロリー輸液を投与され、膀胱留置カテーテルも入っていました。不穏による転倒のリスクを下げる為、向精神薬の静注もされていました。

血液の大きな病気を発症し、その治療の為長期間闘病されていましたが、その間にADLや認知機能が低下し、リハビリ目的で転棟してきた方でした。しかし見る限りではリハビリをしたところで転倒のリスクが高まるばかり、こちらの言っている事が通じない状態ではそもそもリハビリ自体難しそうな状態でした。

数日その方を見ているうち、経口摂取量は少ないけれども、飲み込みの機能はしっかりしていることがわかりました。私たちは相談のうえ、「自分たちが頑張って食事介助をするから、中心静脈栄養も膀胱留置カテーテルも向精神薬も一度全部やめてみませんか」と主治医に相談しました。

管類を全て抜き去って1週間程した頃から、流涎がおさまり、食事は全介助ですが全量摂取できるようになりました。そして何よりも、こちらの声掛けにうなずいたり、顔をほころばせたりする様子が出てきました。

数か月後、その方は元気に杖を突いてご自宅に退院されました。口から食べることの大切さ、管に繋がれるストレスの大きさ等、色々な事を教えてくれた患者さんでした。

眠るように亡くなったAさん

Aさんは食べることを拒否していました。常に眉間にしわを寄せ、怒っていました。食事が運ばれてくるとますます不機嫌になり、物を投げつけることもありました。「それは認知症からくる行為」だと私たちは認識していましたが、いつもいつも怒っているAさんに対して、何とか心穏やかに過ごしてもらうことはできないかと思っていました。

ご家族と話し合い、「胃瘻や経鼻経管栄養などはせず、本人が食べたいと思うものだけを細々と食べて、最後を迎えさせてあげたい」との意向が固まりました。病院食を中止し、時々水分を取ったり、ご家族差し入れの甘いお菓子だけを食べたりする生活になり、Aさんは日に日に穏やかな柔らかい表情になっていきました。

亡くなるまでの2週間、Aさんはほとんど何も口にしない状態でしたが、その表情は安らかで、微笑んでいるようにも見えました。亡くなる時もただ眠るようにすーっと呼吸が止まり、ご家族からは、「こんな風に最期を迎えられるのって理想ですよね」と言われ、私たちも充実した思いで見送ることができました。

「看取りの看護」についてもう一度考えさせるきっかけを、Aさんは作ってくれたのでした。

一致団結で自宅退院を果たしたBさん

Bさんはがんの末期で、全身骨転移があり、少しの動きで骨折を誘発してしまう病態でした。大腿骨転子部骨折がすでにあり、牽引しながら、保存的治療を行っていました。そんな状態ですから、体位変換というと、看護師3人がかりでした。このまま痛みのコントロールをして、最後まで病院で生活するのかと誰もが思っていました。ある時、Bさんがご家族に「家に帰りたい」と自分の希望を口にしたのをきっかけに、部署のみんなが団結しました。医療相談員に介入してもらい、病院でおこなっていたケアができるだけ自宅でも受けられるように訪問看護、訪問介護の利用、福祉用具のレンタルを手配しました。家族の協力もあり、体位変換や、膀胱留置カテーテルの管理、麻薬の管理の指導を家族に行いました。Bさんは体位変換や食事のセッティングにも細かな配慮が必要だったため、写真を用いたパンフレットを作成し、退院準備を進めました。

退院してから一度、お宅に退院後訪問に伺わせていただきました。ご自宅は病院と同じように環境が整えられ、Bさんが安心して過ごして居られる様子が見て取れました。そのお顔は病院にいる時とは全然違い、生き生きしていました。数か月後、Bさんは自宅で家族に見守られながら息を引き取ったと聞きました。

私は今も、退院後訪問の時に見たBさんの笑顔を忘れられません。

黄疸の患者さん

外来に50代男性が食欲不振という事で来院されました。診察が終わり、胃カメラの予約依頼が出たため患者さんをお呼びし、お顔を拝見した時、「黄色い。黄疸だ。」と思いました。経験上、胆管系の疾患ではないかと判断し、「このまま胃カメラを予約しただけで帰してはいけない」と思い、何点か患者さんに質問しました。

「最近食欲はありますか」
 「顔色が黄色い気がするのですが、いつもとかわらないですか」
 「おしっこがいつもより黄色くないですか」

それに対しての答えは
 「そういえば、おしっこが黄色いような気がする。先生に言うのを忘れた。」でした。

私は医師にもう一度診察を依頼し、黄疸が疑われる事を伝えました。まずは検尿、その結果で血液検査も追加されました。肝機能、ビリルビン値は異常値でした。CT検査も行った結果、胆管系の悪性疾患でした。

患者さんは、悪性疾患と知らされた後なのに、「あなたのおかげで原因が分かってよかった。」と帰りがけに声をかけてくれました。

医師の指示をただ受けるだけでなく、自分の経験を活かし、患者さんの早期診断に役立てることが出来て良かったと思いました。